2008.5.1

 
 
科学の前線散策
 
 
17. 全く新しい放射線防護剤

菅 原  努


 

 

 放射線防護剤というのは、大量の放射線を受けてもその傷害を出来るだけ抑えようという目的で、1950 年以降熱心に研究開発が試みられたものです。殊に、我々人の健康と放射線の研究に関わる者にとっては、重要なテーマの一つでした。いろんな物質をマウスに投与しては致死量の放射線を照射し、その生存率を比較して、何とか放射線の致死作用を軽減する物質はないかと長年努力してきました。それでも 1962 年にアメリカの J.F.Thomson が出した“Radiation Protection in Mammals”(哺乳動物の放射線防護)という本に書かれている物を超えるものは未だ見つからない、というのが私の口癖でした。今アメリカなどで、テロ対策として紹介されている Amifostine というのは、もともとアメリカの軍が、沢山の化合物のなかから一番よいと選び出したもので WR-2721 という番号がついていました。これを私が 1975 年から日本で防護剤として開発しようとして Amifostine という名前もつけて治験までしましたが、毒性が強く商品化に失敗したものです。その後アメリカで制癌剤の副作用抑制ということで FDA の許可をとっていますが、毒性のためにとても正常人の防護には使えそうにありません。でもアメリカの放射線テロ対策の指針のなかには述べられています。しかし、残念ながらこれが唯一の有効と認可された防護剤なのです。

 そこへこの 4 月 11 日号の Science 誌に発表された防護剤は、今までの物とは全く異なる作用機構で、マウスとサルとで Amifostine に劣らぬ防護作用を示しています。今までの防護剤は放射線の作用をその物理的段階で抑えようとするものでしたが、これは遺伝子の発現を調節することで、放射線による細胞死を押しとどめようとするものです。以下は少し専門的になるので、とばして読んでいただいても結構です。(詳細は下記の紹介文と原著を参照してください

 がん細胞は、NF−kB(kは正確にはギリシャ文字のκカッパーです)という因子を細胞内で活性化することで、細胞が自殺するのを防いでいると考えられます。これを逆手にとって、正常細胞が障害を受けて自殺しようとするのを、止めることが出来れば、放射線による骨髄や腸管の障害による動物の死をまぬがれることが出来ないか、という考えです。ヒトの腸管や免疫細胞は細菌の周りに生えている鞭毛が細胞の表面にある TLR−5 という受容体を通じて NF−kB を活性化することが知られています。研究者達は、これを参考にしてこの活性化に働く薬剤 CBLB502 を開発しました。

 研究者らは動物実験で腫瘍の放射線治療に用いて、正常組織を防護するが、腫瘍には影響がないことを示して、放射線治療への応用を示唆しています。これを取上げた製薬企業は、その他に核戦争や核テロに備えて備蓄するべきものだと、期待しています。

 さて最後に私の意見ですが、これは考え方といい、その効果といい、素晴らしく、大いに期待されるものですが、放射線で障害を受けた細胞を死なせないでおくと、それが将来、突然変異やがん化を起さないか、という疑問が残ります。これはこうして防護して生き残った動物を長期観察することで、明らかにすることが出来るでしょう。もしその怖れがあるときに、何かその予防のために打つ手があるか、それも研究するべきでしょう。

 


    註
1) Yudhijit Bhattacharjee: Drug bestows radiation resistance on mice and monkeys Science 320: 163, 2008.
2) L.G.Burdelya et al.: An agonist of Toll-like receptor 5 has radioprotective activity in mouse and primate models. Science 320: 226-230, 2008.
3) Biomedicine: Resisting radiation in Research Highlight Nature 452:784-785 ( 17 April 2008 )